住み慣れた環境を後にして海外に渡るのですから、個人差はあると思いますが、多少はホームシックになったり母国を恋しく思う時があるのは当然なのかもしれません。
今回は、日本での生活に嫌気がさし、オーストラリアに留学をした私の場合はどうだったのかお話ししたいと思います。
留学中にホームシック?
私がオーストラリア・シドニーに渡ったのは、海外での生活に関心を持ち始めてから約三年経った頃でした。
三年という月日は、長い目で見ると短い期間かもしれませんが、当時の私にはとてつもなく長い道のりに感じたものです。
それまでアルバイトや英語の勉強をしながら少しずつ準備をしてきたので、やっと永住権を取得するという自分の目標に向かうためのスタートラインに立てた日のことは今でも忘れることはありません。
しばらくは、自分のやりたいことをできるという喜びに浸っていたので、調理師コースで学んだ二年間、辛いと思ったことはたくさんありましたが、帰りたいと思ったことは一度もありませんでした。
日本での将来に限界を感じ、帰るという選択肢が自分の中になかったということもあるかもしれません。

ホームシックとまではいきませんでしたが、異国の地での生活に様々な困難に直面することもありました。
そして、そんな時に私を支えてくれたのは母と祖母でした。
15年程前は今のようにスマートフォンも普及していなかったので、アプリを使って簡単に連絡するというわけにもいかず、国際電話のコーリングカードを購入して電話をかけたものです。
頻繁に電話をかけてくる私に、「いつでも帰ってくる場所はあるよ。」と声をかけてくれた母。
私の海外渡航に反対はしませんでしたが、祖母にとって海外は未知の世界。できることなら行って欲しくないと心の中では思っていたことは知っていました。
余計な心配をさせないように祖母に悩みを相談することはありませんでしたが、いつでも受話器の向こう側で話を聞いてくれる人がいるというだけで心が救われたものです。
祖母とは時よりハガキのやり取りもしていました。優しい手書きの文字が並ぶハガキをポストの中に見つけるたびに、温かい気持ちになったことを今でも覚えています。
四年程前に他界した祖母ですが、今でもそのハガキは私の宝物です。
https://livingintwocultures.com/losing-family-while-overseas/
留学後、永住してから感じたホームシック
若い時は、毎日の生活に精一杯だったということもあり、寂しいと思う余裕さえなかったのかもしれません。
でも、年齢を重ねるごとに、日本を恋しく感じる機会が増えたように思います。
特に、三年前に結婚をして、オーストラリアに自分の家族と言える人を持つまでは、クリスマスの時期に日本に一時帰国をするタイミングを合わせることが多かったと思います。
日本のお正月のように、オーストラリアではクリスマスは家族と過ごすのが主流です。街やお店、目に入るもの全てがクリスマス一色になります。
単身で海外に渡った私にとって、いつも以上に家族を意識せざるをえないこの時期は、いろいろ考えさせられるので苦手でした。
ホームシックに近い感覚だったのかもしれません。
最後に
自分が望んで選んだ道だったとしても、母国を離れて生きるというのはシンプルなことではありません。
さらに、海外に長く住み続けるのであれば、なぜ自分はこの場所を選んだのかということを自分自身できちんと理解している必要があると思います。
それができることで、ホームシックになったり様々な困難に直面しても、必ず乗り越えられる強さを自分の中に見つけることができるのではないでしょうか。
オーストラリアにはサポートやカウンセリングを提供する非営利団体があり、電話やメール、オンラインチャットなど様々な方法でコンタクトができるようになっています。
辛いときは、一人で悩まないで必ず誰かに相談しましょう。
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最後までありがとうございました。
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